戸田ふるさと祭り歴代実行委員長にインタビュー

戸田ふるさと祭り歴代実行委員長にインタビュー

今年で第50回目を迎える戸田ふるさと祭り。
当時の思い出や継承されてきた戸田ふるさと祭りへの想いなどを歴代実行委員長に伺いました。

質問事項

  • 当時の思い出や実行委員長として苦労したことなど
  • 第50回目を迎える戸田ふるさと祭りへの想い

歴代実行委員長

第1回実行委員長 嘉者熊 祥昇

嘉者熊 祥昇
当時の思い出や実行委員長として苦労したことなど

戸田ふるさと祭りは、1975年4月29日に青年会議所が創立された記念事業として、戸田市民が一堂に会する催しを旧市役所跡地(現あいパル)を使って継続的にやっていこうという思いから始まりました。

大規模な祭りは初めての試みであったことから、交通規制、会場設営、イベントの内容など非常に大変な任務でした。しかしながら、メンバー60人が一致団結して成功に導くことができたことは誇りに思っております。

第50回目を迎える戸田ふるさと祭りへの想い

戸田ふるさと祭りは50回目を迎える素晴らしい祭りとなりましたが、本来の戸田ふるさと祭りの意義を継承していくためには、さらに戸田市全体で祭りの機運を高めていけるよう、市民、行政、議会が一丸となって、新しい風を吹き込ませていくことを期待しております。

第50回目の開催、誠におめでとうございます。

第2回実行委員長 金子 洋太郎

金子 洋太郎
当時の思い出や実行委員長として苦労したことなど

JCの単独事業では継続は難しく、戸田市長はじめ全市的な委員会が必要と感じ、歌謡連盟・舞踊連盟・建設業協会をはじめ多くの諸団体が実行委員となり「戸田ふるさと祭り実行委員会」が発足しました。

当時、日本で初めて銀座で歩行者天国が実施されており、戸田市でも17号線から東町商店街を通り、五差路まで歩行者天国を実施したい旨を蕨警察に申し出るも「議論百出」結論は出ませんでした。最終的に警察署長の英断のおかげで歩行者天国が実現しました。旧市役所跡地を中心に、多くの流し踊りの連が歩行者天国を埋め尽くしました。三階建ての櫓は建設業協会が無償で提供、戸田音頭も、踊りも、お囃子も、すべて生演奏でした。

戸田で生まれ育った子どもたちは戸田がふるさと。幼いころの懐かしい想い出を残してあげたい。これが戸田ふるさと祭りの趣旨であり動機です。第2回は3歳の幼児が開会宣言をしたのもよい思い出です。

第50回目を迎える戸田ふるさと祭りへの想い

戸田ふるさと祭りは子どもたちの戸田市での夏の思い出になるようにと始まりました。実行委員・協力団体・地域の皆さん、そしてそれをつなぎ強固にしてくれた歴代の大会会長(市長)のおかげで今の戸田ふるさと祭りがあります。今でもみんなが楽しめる祭りを続けてくれていることに感謝し、誇りに思います。

第50回戸田ふるさと祭り、おめでとうございます。

第9回実行委員長 萩原 脩

萩原 侑
当時の思い出や実行委員長として苦労したことなど

私が担当したのは第9回ですからもう、41年前のことです。記憶も薄れてきております。会場は旧市役所跡地。現在の上戸田地域交流センターあいパルです。金土日の3日間の開催でした。建設業協会のみなさんのご奉仕で、丸太づくりのメイン会場でした。

開催日直前にあいにくにも台風が接近し、スポンサーから頂いた大切な提灯を下着一枚で風雨の中、取り外した懐かしい思い出があります。小さな会場に露店商で狭いながらも賑わいました。

第50回目を迎える戸田ふるさと祭りへの想い

戸田ふるさと祭りの出発点は新旧住民との融和からスタートしました。歴史と重ねて50回目を迎えます。半世紀で戸田市も平均年齢の若い街に様変わりしてまいりました。古き良き伝統を残しながら、若い世代向けのイベントを前向きに取り組む模索も必要な時ではないでしょうか。

第12回実行委員長 溝上 西二

溝上 西二
当時の思い出や実行委員長として苦労したことなど

戸田市に、待ちに待った埼京線が開通した翌年の昭和61年8月に第12回目となる、実行委員長としてテーマ「ふるさと祭り・わたしも参加・ふれあう市民」で開催しました。埼京線が開通したこともあり、多数参加して頂き、会場内の中央に設けられた櫓を中心に大人も子供も一緒に輪となって楽しく踊っていた姿を思い出します。祭り会場の周辺は歩行者専用区域も広く企画しましたので、祭り後の2日間の後片付けと打ち上げ等で、朝方まで実行委員会みんなで楽しかったり、また苦労したことを思い出します。

第50回目を迎える戸田ふるさと祭りへの想い

今年は50回目ですね。昭和50年が最初の開催ですが、昭和49年に戸田青年会議所が創立しました。その時に当時の斎藤純忠市長と初めて会議する中で、お祭りの話があり、戸田青年会議所全員で討論した結果、各町会で行われている盆踊りを一か所で開催し、市民のひとりひとりが創り上げていく市民参加型のお祭りをとの思いで開催する運びとなりました。ここ最近の地球温暖化また気候変動等で開催時の夏場の異常な気温上昇もあり、開催期間中での徹底した安全対策を講じ、楽しいお祭りを続けて頂きたいと思います。

第26回実行委員長 鴨下 稔

鴨下 稔
当時の思い出や実行委員長として苦労したことなど

私が実行委員長を務めた戸田ふるさと祭りでは、市役所南通り・市役所通りも会場でしたので、そこを通って祭りパレードやサンバパレード、また流し踊りや神輿渡御など、とても賑やかな催し物を行っていたなと思います。ただしその反面、当時は通りに露店商も出店していたので、祭り終了後のゴミの量も膨大で、その片付けで疲労困憊になったことが、思い出されます。

第50回目を迎える戸田ふるさと祭りへの想い

戸田ふるさと祭りも、何度か会場を変え、多くの人達が実行委員長を務めて50回を迎えたことをお祝い申し上げます。これからも、時代に合わせて多くの市民が参加でき、楽しいめるお祭りになるよう、私自身も何らかの形でお手伝いできればと考えております。祭りの運営に関わる全てのスタッフの皆様には、心よりエールを送りたいと思います。

第27回実行委員長 池田 嘉弘

池田 嘉弘
当時の思い出や実行委員長として苦労したことなど

当時、青年会議所が合併をした関係で蕨市民として初めて実行委員長になりました。しかし、地域の団体の関係者とは知り合いも無く大変苦労を致しました。しかし、祭りが近くなると沢山の方が実行委員長を助けようと応援を頂き無事に終わった思い出があります。

第50回目を迎える戸田ふるさと祭りへの想い

多くの諸先輩達が毎年多くの苦労と沢山の経験が出来るのが「ふるさと祭り」だと思います。市民の皆さんがお盆の後は「戸田ふるさと祭り」と記憶していると思います。応援しています。

50回目の戸田ふるさと祭りおめでとうございます。

第30回実行委員長 磯島 栄一

磯島 栄一
当時の思い出や実行委員長として苦労したことなど

戸田ふるさと祭りでは、流し踊り・太鼓・サンバパレードが目玉でしたが、第30回ということで新しくよさこい踊りを企画しました。出演チームを集めるため小中学校の先生に協力要請したところ快く引き受けてくれました。

第50回目を迎える戸田ふるさと祭りへの想い

戸田ふるさと祭りは、市民参加型の祭りとして様々な団体が協力しています。清掃ボランティアは個人としても参加できる画期的なものです。夏の風物詩として市民に参加し愛される祭りを継続して欲しいと願っています。

第35回実行委員長 奥墨 常治

奥墨 常治
当時の思い出や実行委員長として苦労したことなど

私は第35回の実行委員長の職を務めさせていただきました。

その中で戸田音響様のご協力のもと、演歌歌手の坂本冬美様をステージにお呼びすることができました。また歌謡連盟様には当時流行していた鼠先輩の歌謡ショーを室内ステージで行いました。

更にTV東京からオファーがあり当時TV番組にて売り出し中の『美女木ジャンクション』という女性2組の歌手にもステージを盛り上げていただきました。

坂本冬美さんの出演時間の時には野外会場がパンパンになるくらいの来場者の方々で安全管理にはとても気を使い苦労いたしました。

第50回目を迎える戸田ふるさと祭りへの想い

戸田ふるさと祭りは戸田青年会議所の先輩方がこの町の代表となる夏祭りを作ろうと資金が無い中、手作りで出来上がったのがこの戸田ふるさと祭りだと聞いています。

わがまち故郷を想い帰省してくる方々が楽しめる祭りだったようです。

市民による市民の為の戸田ふるさと祭りです。それは時代が変わっても祭りへの想いは変わらないでほしいとも思います。50回目という記念すべき年、原点回帰のテーマのもと本当に市民の為の祭りとして今年も開催されますことを心から嬉しく思います。